突然矛先が自分に向き、さすがの美鶴も聞き流す事はできない?
「え? 私?」
「美鶴の態度って、自分の努力を無駄だと言われているようで、認めたくなかった。だからあんな事も言った」
「美鶴もさ、少しは自分の気持ちを出してみなよ」
殻に閉じこもって世間に対して悲観的になって投げやりになっている美鶴を認めたくないと思った。
「学校で見かけるたびに、嫌だなって思ってた。でも、羨ましいとも思ってた」
「へ? 羨ましい?」
「うん。唐渓の中であそこまで不敵な態度出せるのって、すごいなって」
「唐渓のバカども相手に善戦してるようじゃない。私、そういうの好きだよ」
初対面で、たしかツバサからそのような事を言われた。
「あの言葉、強がって言ったんだろうけど、でも本音だったとも思う」
「羨ましがられているような気がしないんだけど」
「相変わらず捻くれてますね」
「誰が聞いても嬉しいとは思わないはずだ」
美鶴の言葉に、ツバサは声をあげて笑う。
「結局は美鶴の事も妬んでたんだね。ごめん。ただの、私の八つ当たりなんだ」
でもそんな美鶴に昔の自分が重なり、親近感も湧いた。だからトラブルに巻き込まれる美鶴を、ついつい気にしてしまったのだろうか?
「ごめん」
赤くなった目でそう謝られ、美鶴はどうしてよいのかわからずに視線を琵琶湖へ飛ばす。ツバサもそれにならう。
「ごめん、グチった」
「いや、別に」
「美鶴には関係ないよね」
「まぁね」
「でもさ、ここまで付いてきてもらったわけだし、ちゃんと話しておくべきかとも思って」
律儀なことで。
毒づく美鶴の心内など知るよしもなく、ツバサは涙を振り払うように顔をあげる。
「一緒に住んでたのに、いなくなってからわかった」
「お兄さんの事?」
「うん」
答える声には、少し明るさが戻っている。
吹き上げる風を受けながら、ツバサは目の前の景色を見下ろす。
「いい眺めだね」
「うん」
気落ちした気分を変えたいのだろう。美鶴としても、湿っぽくなってしまった話に長々と付き合うのはうんざりだ。話題を変えるツバサに逆らうつもりはない。
「もうちょっとスッキリ晴れてたらよかったね」
「うん」
「伊吹山って、あっちの方かな?」
「あぁ」
乗ってきたケーブルカー内での説明で、晴れていれば見えると案内された、岐阜県との県境。今は白雲に隠れて見えない。
「向こうは草津市だっけ?」
見えない山を諦めて、琵琶湖の対岸を指差すツバサ。こちら側は大津市。対岸は草津市。
「こうやって見ると、すごく近くに見えるね」
「うん」
「でも、昔は行くのも大変だったんだろうね」
「あぁ」
「橋なんてなかったんだからね」
「だろうね」
琵琶湖に初めて橋が架かったのがいつかなんて、二人とも知らない。
「舟か、琵琶湖の岸をグルッとまわるか」
「うん」
「すぐそこに見えるのにね」
「そうだね」
ようやく答えらしい答えを口にした美鶴の言葉は、ツバサの歓声に掻き消される。
「わぁっ! 見て見て」
指差す先。白んだ空から光りが差し込む。晴れているはずなのだが、やはり雲が掛かっているのだと教えられる。
「すごい、あっちには陽が差してる」
「ホントだ」
「こっちは陰ってるのに」
確かに、琵琶湖の手前、大津市には光りは差していない。雲が切れて光りの注ぐ草津市と、陰って少し暗い手前の大津市。
「あっちとこっちで天気が違うよ」
「そうだね」
そのまま二人は無言で見入る。秋の空。近いようで遠い対岸の、二つの空。
晴れている草津市を、ツバサは少し放心したように見つめた。そんな彼女を、美鶴はチラリと上目使いで覗き見る。
まだ少し、涙の残った二つの瞳。その顔を、美鶴は綺麗だと思った。長々と聞かされたツバサの身の上。最初はウザいと思って聞いていたのに、いつの間にか聞き入っていた。
ツバサは、向こう岸に行きたいのだな。向こうに渡りたいと努力している。
決して楽ではない。こうやって泣きたいほど辛い思いもしている。
そんな努力は無駄だと思っていた。馬鹿馬鹿しい事だと思っていた。くだらない悪足掻きだと思っていた。今でも美鶴は、そんな努力をしたいとは思っていない。
だが今、美鶴はツバサを綺麗だと思う。そして少しだけ、悔しいと思う。
自分は、こんなふうには泣けないな。
そう思う自分をなぜだか小っ恥ずかしく感じ、隠すように美鶴は再び景色へ視線を戻す。対岸へ降り注いでいた光りは、再び霞の中に姿を消してしまっていた。
ツバサが渡りたいと思っている対岸だって、決して楽しいばかりの場所ではないはずだ。ツバサの兄だって、胸の内の強さを不動のまま保っているワケではないだろう。姿を消した理由だって、はっきりとはわからない。それはツバサもわかっているはずだ。
だが、それでも渡りたいと頑張るツバサを、美鶴はどうしても馬鹿にはできない。
自分を変える――― か。
目の前に広がる草津市の景色に、おぼろげな薄色の髪の毛が跳ねた。美鶴はそれを、眩しいと思った。
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